母は私たち3人を抱えながら数百万の借金を返す生活を余儀なくされた。
朝から夜中まで働き、私も幼いながらも母が大変なのがわかったので兄弟協力して家事をやり生活してた。
片親だからといって母は子供に不憫な思いをさせまいとして運動会の日は朝3時から起きて場所取りとお弁当作りなどをしてくれた。
お肉はほとんど食べたことなかったけど、運動会のときのから揚げとウインナーとおっきなおにぎりは本当においしかった。
しばらくして私たちも大きくなり、末っ子の私も中学生になっていた。
そのころ家に父から電話がかかってくるようになり、母に金の無心をしていた。
それに腹を立てた私は父から電話が来るたびに「どの面下げて電話してくるんだ。死ねよてめえ」などと罵声をあびせて電話を切ると、父は母の職場に電話をしてきて「どういう教育してるんだ」と「金よこせ」などと迷惑をかけるようになった。
当時、まだ中学生で母に迷惑かけてしまった自分を責めてると兄が「母さんとお前たちは
俺が守るから」と慰めてくれた。父のせいで母は職場を変えざるを得なかった。
次のページへ続く
この記事が気に入ったら
いいね!しよう