439 :生き人形:2000/08/24(木) 01:06
呪いの生き人形。
稲川淳二氏が、TV等の心霊特集に欠かせない存在になった切欠の心霊体験談がこれです。
この話は稲川淳二氏自身ももちろん、TV、雑誌、漫画等も今だに敬遠しています。
それはなぜか・・・祟りがあると噂されているからです。
いや、正しく言えば、今だに関係した者達に祟りが起こっているからです。
はっきり言って私も此処に書くのは恐いです。(^^;
皆さんも心して読んでください。
生き人形の呪いは、昭和53年6月から始まりました。
その日、稲川氏は日本放送の深夜のラジオ番組の仕事をしていました。
今日は前半を先に録音し、後半を生でとるという方法で、番組は作られる事になっていました。
録音が始まるまでソファーに座っていた稲川氏は、大声で泣いている男の声を聞きます。
「いったい何が起こっているのだ」
廊下に出てみると、二人の男性がかなり離れた場所にいました。
その一人、うずくまっている男が声をあげて泣いているのです。
泣いている男性は、『南こうせつ』さんでした。
その南氏をなだめているのが、稲川氏の知り合いのデレクターでした。
皆さんは『わたしにも聞かせて』を御存知ですか?
『かぐやひめ』のレコードに入っていた、謎の少女の台詞です。
霊の声が録音された心霊現象として、伝説になっている事件でした。
南さんはその声を聞いて泣いておられたのです。
スタッフが南氏にその不思議な声を聞かせたところ、彼は泣きだしたそうです。
・・・その声の主、それは南氏がラジオの放送で知り合った少女の声らしいのです。
彼女は楽しみにしていた南さんのコンサートの前に、病気で亡くなったのです。
その声の主が誰か気付いた南氏は、悲しくなり泣いていたのでした。
真夜中。稲川氏のラジオ番組は終了しました。
南氏の事があったからでしょう。あのデレクターが一人で帰るのは恐いからと、稲川氏を待っていました。
稲川氏はそのデレクターと、タクシーで帰宅する事になりました。
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